

築地を500ビガのなかに作る。
昭和10年2月、築地に広さ約23万平方メートルの東京都中央卸売市場が開設されました。市場へ集まる生鮮食料品は旧汐留駅から引き込線を通して貨物で、また隅田川岸壁の桟橋から船で運ばれてきました。このため扇状の建物が建てられたのです。市場は迅速、公正な取引を展開し、取引の結果を公表して価格を安定させ、市民生活を支える大きな力となったのです。昭和16年12月、太平洋戦争が始まり、食料品は配給統制となりました。戦後も食料品の統制は続き、しばらくの間は市場本来の役割を果たせませんでした。
統制が解除された昭和25年以降は、市場の働きが回復し、入荷量が増えるにつれて人々の食生活も安定の方向に向かいました。
高度経済成長期の昭和37年、東京の人口は1,000万人を超えました。さらに、漁業技術の発達や冷凍技術の進歩によって新鮮な魚が大量に水揚げされるようになり、野菜や果物は、農協などの出荷団体の組織が整い、生産の規模も拡大しました。そしてトラック輸送の進展で全国各地から市場へ荷が集まるようになったのです。
現在、東京都中央卸売市場は首都圏の食生活をまかなう生鮮食料品などの流通の一大拠点に発展し、中でも築地市場は日本最大の魚市場になりました。築地市場では、平成17年実績で、一日平均3,350トンの魚や野菜などが入荷し、およそ21億円が取引されています。
現在の築地市場
江戸から東京へ、日本の食文化をささえ、作り上げてきた築地市場は、首都圏の生鮮食料品流通の中核を担う拠点として、平成24年度、江東区豊洲地区に新市場として生まれ変わります。
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